MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

イキモノ~生きモノ

長くなる。
短編の小説だと思って読んで欲しい。

娘の誕生日が近いのだが、一向に欲しいモノがないと言う。
欲しいものはあるのだが、金銭的な制約が多いので、ないと言うしかない。
そんなところだ。
実際に娘は、モノの欲がなく、食い気が先行している。色気は陰もない。

「ちちは若い頃、高校のときかな、教会でボランティアをしていて・・」

娘はボクの話を聞くのが好きらしい。

「今で言うポストベビーみたいな、その・・孤児を引き取っていてね。
そこの子供はね。欲しいものを言わないんだ。」
ボクは昔話をした。

幼児の時に引き取られて、施設から施設。
そして教化を前提に教会が引き取る。
その後は、どうなるのか。
本人の器量と才能次第という、残酷で現実的な世界。
ボランティアといっても、狭量な人はいなかったから、環境は良かった。
子らの欲しいモノはモノではなかっただろうから、それで十分だったのだが。
ただ、金がなかった。
強姦の結果とか、望まれない子と言えば、大人はすぐに穢れを見るような視線だ。
犯罪の落とし子くらいにしか見ない大人が圧倒的で、引き取り手はなかった。
子に罪はない、未来のある子、そんな理想は理想でしかなかった。
それでも、子らに罪はないという思想だけで、皆が走り、身を削った。
思想ある処に金はないのが常で、教会もその多数だった。
ベクトルという思想や意志を持っていても、スカラーという金がなければ、物事は進まないのだ。
進まなければ、沈滞し、腐敗し、人も物も壊れていくのだ。
当時はNPOだとか、そんな便利な制度が浸透しておらず、教会の台所は火の車だった。
子らは、それまでも不衛生から解放されたものの、モノに窮していた。
モノ余りの時代にあって、珍しいくらいに、古着を着まわし、靴もよく繕い、愛用した。
教科書以外は私費なので、鉛筆や消しゴム、ノートに事欠いた。
裏が白紙のチラシなど、宝物扱いで、みんなが閉じ紐でまとめて、綺麗な色紙で表紙を付けた。
CAMPUSノートなど、天上のモノで、使ったことがない子らだった。
寄付なんか、本当に集まらなかった。
要らないノートなんか腐るほどあるだろうに、ほとんど集まらなかった。
幼い子は、絵を描き、線を書き、成長していく。
地面に枝で描いたのでは限界があった。
不用品を求めて廻っていくボクらは、エホバ扱いされては、手ぶらで帰っていった。
ただでさえ、学校ではいじめと云う犯罪の筆頭対象だから、関係を拒むヒトが多かった。

だから、引っ込み思案の女の子が「ノート、欲しい・・」と言ったときは心底困った。

ボクの家には沢山の紙があったが、もう使い切っていた。
友人知人も同じで、ボランティアも皆同様だった。
年頃の子らには回るが、どうしても幼い子らには回らなかった。
年頃の子が悪童と云う訳ではなく、皆、余白の端まで使い切っていた。
自分のモノを持たぬ子が「はじめて持ったノート」。
そのまま教科書になり参考書になり、その人自身になっていく。
『宝物だけどあげる』、そう言われて、ハイどうもありがとう、なんて貰えない。
その子がそのノートを手にしたときの表情を、誰よりも皆が知り過ぎていた。

大事に使うことと、最後まで使うこと。
使うとは何か、最後とはどこか。
モノへの対峙の仕方、身の処し方に、ボクはいい加減だった。
与えられることに慣れ、降って来ることに慣れると、モノと同時にヒトが腐っていく。
ヒトにはヒトへの教育があるが、モノへの接し方を誰も諭さない。
あの教会の牧師は「買い与えてはならない」という教義の持ち主だった。
頑固牧師を納得させることは、贈り物をするとき拍車をかけ苦労した。
たかだかノート。
女の子が、誕生日プレゼントに可愛いノートを欲しがるくらい、なんだ。
ボクは、それでも小遣いでは格好がつかないので、バイト代で5冊セットを買い、その女の子にあげた。

あの表情。

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困惑しつつも歓喜と興奮が漏れだしているあの瞳。
ビニールの包装を何度も繰り返しなぞるあの指。
一冊づつ、香りを楽しみ、表紙をなぞり、色の違いを何度も褒めたたえる。
いつまでも中身を見ず、クスクスと笑っては一冊目に視線を戻す、意地の悪い笑顔。
色気がないはずの幼い子に、あそこまで愛しむような顔をさせるのは、母性だったのだろうか。

その子はひと月足らずでノートを使い切った。
「もうノート・・ダメだよね・・」
・・・あぁ・・・
ボクは「またか・・」と思った。
モノを与えられる物欲は強欲になり、際限を失う。
そうやって、叱責され懺悔させられてきた子らを何度見てきたか。

しかし、ボクは信じてまた買い与えた。
果たして、ソレは正しかった。
彼女の最初の5冊は「本」になっていた。
図書館で何度も借りていた愛着の本を、一か月かけて書き写しきっていたのだ。
次のノートは、勉強に使うのだろう。
ボクの想像は見当違いだった。
勉強のノートなど最初からなかった。
教科書の余白は、びっちりと細かい字で、埋め尽くされていた。
ところどころに、チラシの裏のメモが張り付けてあり、それは、それ以上まとめようもない「要点」だった。
ノートなど要らなかったのだ。
彼女が欲したのは、自分だけの本。
本そのものを買う、そんな考えなどなかったのだろう。
何度も読み返し、諳んじるほどになった一冊の本。
それを書き写し、所有する喜び。
自分だけの自分の字の本。


ボクはノートの字が細かく、使い方が貧乏くさいと良く言われる。
書き写しが多く、大事なところが多すぎるメモ、と言われる。
それでも、幼いあの女の子には敵わない、否、競えないのだ。

娘にはサッカーボールの話もした。
上気した娘はなかなか寝付かなかった。
ボク得意の貧乏くさい話だ、と思ったろうが、何か感ずるところがあったのだろう。
ノートをきちっと整理してから寝室に行った。

モノが生きるとき。
それは本来の用途を終えた、まさにそこから始まる。