MelancholyDampirの日記

ウツな人の独り言

成人の日

今日は、街中で振袖姿のキレイな子をたくさん見かけた。
暦はとんと縁がないボク。
なるほど、随分前から15日じゃなくて、第二月曜?になったのであったか。
着物の日とかいうのも出来れば良いのに、と思う。
 
・ 着物の方はコーヒー一杯サービス
・ 着物を購入された方は、その場で着つけて差し上げます
・ 着物ビズ
・ ブティックホテルに入ったときフロントに言ってくれれば退室に合わせて着付けます
 
(最後のは、今や都市圏では当たり前のサービスである)
案は幾らでも出るが、殆どは着物や織物の古都でイベント済みである。
残念なのは、そこだけで終わっていること。
仕方がない。
着物を文化だとか伝統はかくあり、などと持ち上げる不細工な老人とか団体の責任だ。
着物を好きに着ようとすると、どうしても仕来たりとかルールとぶつかる。
スーツのドレスコードと同じで、自由なようで不自由である。
慣れるまでに時間がかかる。
時間が経つにつれ「もういいやぁ・・」となる。
 
正装とあると、男はスーツであるが、実は奥深い。
アメリカ式イギリス式とあって、カマーベルトからチーフまで事細かに決まりがある。
そこを踏まえての、色とかアクセントになる。
無論、ネクタイは略式であり、正装ではない。
シングルとダブルも様式作法があり、そこを踏まえないとチンドン屋扱いされる。
靴に至っては、男なのにオペラ「パンプス」などが正当である。
 
イメージ 1
 
着物となると日本の伝統であり、他にはこういった衣装がない。
ボタンも一切なく、紐留めである。
お太鼓を結ぶのが基本だから、全幅帯や名古屋帯になり、一人では着付けが難しくなる。
半幅はどこまでもイレギュラーで、紬は大島でもアウトである。
貝の口とか矢の字とかは、なぜか邪道扱いで、成人式などのっぺりとする。
『おしゃれがいい!』とブーツやニットを合わせると「ハイカラさん!」とか言われる。
笑止。
もっと自由であれ!
 
しかし、着物は形式が決まっているからこそ、内面の美しさや所作の極みがにじみ出る。
同じ着方で、同じような背格好で、生来の何かが突出してくるのである。
女子高校生が、おんなじ格好なのに「彼女だけ違う!」とスカウトされる由縁である。
女性誌で盛んに「周りと同じようで一風違う○」などとやっているがピンボケである。
化粧や服装、道具では、所詮「形式」なのである。
「ぽっちゃりさん」などどフォローしているが、デブは食人の対象でしかない。
「個性派さん」などとジャンル分けして濁しているが、元々不細工には、もてる方法はない。
 
もてるために・・というのは重要な要素であり、それがないなら、人間は半分は終わりだ。
かと言って、もてる、それだけを光明に歩いて行くと、きっと獣道に入るしかない。
ウツ人は、性格や思考に個性があり、それを見つめて深化させていく療法が、つまりカウンセリングである。
外面に拘泥せず、内面を見つめて行くわけだ。
内面を磨け!などと言われても、ボクなどはチ○ポを良く洗うくらいだ。
 
今日の今、まだ着物でいる方がいるならば、差し当たり輝いていてほしい。
そして、その輝きは、誰が誰のために磨いたのかじっと考えてみてほしい。
親に感謝、それもいい。
ただし、今日からは、自分で磨くのだ。
今日の今から、そう考えてもかまわない。
おめでとう。